期待という表現を深掘りすると見えてくる人の欲求とは?
見返りを求めた期待によって、待っている結果
過度な期待よりも、信頼の方が幸せになれる理由
期待をかけるべきものもある。それは・・・、
約9分です
これらの新しい祝福を得られるための所要時間は
期待を裏切られるのは辛いことです。
期待をかけていた我が子、生徒、部下・・・
どのようなケースであれ、描いていた期待と現実とのギャップが大きければ失望してしまうのは当たり前といえば当たり前でしょう。
そもそも、人生って期待通りにいくことの方が稀であるはずです。
期待通りにいかないのが人生なんですよね。
何もかも思い通りにいかないのが、私たちの人生なんです。

そうなると、絶対に出てくる考え方が
『人生に何も期待しない』
という考えです。
期待するから裏切られる。そして辛い思いをする。
だったら、もう何にも期待しないほうがいい。
期待をしない人生。
あなたはどう思いますか?
期待によって生まれる人生の苦しみ

僕自身の過去を振り返ってみても・・・、
「あれっ?どうして?」
「期待していたことと、現実はこんなにも違うものなのか?」
と、理想と現実とのギャップによって苦しみを感じていたことばかりです。
僕が勝手に抱いていた期待によって、何か裏切られたような気持ちになっていたんですね。
裏切られたという気持ちと、現実は甘くないという気持ち。
軽い絶望感です。
でもその気持ちをよくよく探ってみると・・・、
おそらく現状に満足できなかった自分。
そして理想の未来ばかりを期待していた、僕の心境が根っこにあったような気がするのです。
いつかは良くなる。
今は苦しいけど、未来はきっと明るい。
そんな気持ちをずっと持ち続けながら、日々を過ごしていたんですよね。
そして約束のその未来がやって来た時もまた・・、
「未来はきっと明るい・・・」
そんな滑稽なサイクルを繰り返してしまっていたんです。
未来を期待してばかりで、永遠に『今』を楽しめない人生だったんです。
大人の世界は楽しくて自由だと期待していた少年時代
大人の世界への憧れ。
今からもう35年以上も前の話しなんですけど、いまだに覚えている少年時代の記憶です。
小学生の頃に、海へキャンプに行った頃のことでした。
自営業を営んでいた父親は、社員として働いていた人たちとのキャンプを計画していました。
それに僕も連れて行ってくれことになったんです。
細かいところはもうすっかりと忘れてしまっているのですが・・、
お酒を飲んだり海で泳いだり、楽しそうに過ごしていた大人の人たちを見ながら、
「あぁ、大人になったらこんな楽しく仕事ができるんだな。」
そんな期待を抱いていたことをハッキリと覚えています。
もちろん学校には友人はいましたし、普通に通学していたんですけど・・・。
それでも、宿題や塾、先生からの「廊下を走るな」といった叱責。
色々な縛りを小学生なりに感じていたんですよね。
「大人になったら、こんな窮屈な学校から解放されるんだ♪」
「こんな風に笑いながら過ごせるようになるのか♪いいな、大人の世界って。」
そうして10年の時間が過ぎ、大人になった時・・。
大人の世界の厳しさを目の当たりにし、期待が見事に裏切られるのです(笑)
「あの楽しそうな姿は、多くの面のほんの1つに過ぎなかったんだ。」
「あの笑顔の裏には、愚痴や嫉妬、色々な感情がきっとあったんだろうな・・」
あの頃描いていた期待とは大きく離れた現実。
打ちのめされそうな毎日でした(^-^;
自由を満喫できると期待していた大学生への憧れ
「大学生になったら、自由な時間はいくらでもあるよ。」
親や塾の先生からそう聞かされていた僕は、大学への憧れを強く持っていました。
集団行動が苦手だった僕は、中学、高校とずっと窮屈な気持ちをどこかで抱えながら過ごしていたんですよね。
我慢の中学3年間。
そしてまた我慢の高校3年間。
そのように感じていた中学・高校生活だったんです。
(参考)⇒ 人生がつまらない高校生たちへ。新しいモノサシの世界へご招待!
「大学に入れば自由だ。自分の好きに過ごすことが出来る。もう何にも縛られないぞ♪」
そんな期待を何年も膨らませながら過ごしてきたのに・・・
実際に始まった一人暮らしの大学生活は、それはそれは退屈な日々の連続でした(笑)
時間があっても、お金もなければ、いつも一緒に過ごす友人もいるわけではありません。
時間を持て余す日々だったんです。
「これがずっと夢見ていた大学生活なのか?」
「もう何も求めない。期待しない方が良かった・・」
何のサークルにも所属していなかった僕は、そんな親しい友人もいるわけでもなく、学生アパートで一人過ごすことが多かったんですよね。
大学生になれば全てが解放されると思って、ずっと我慢しながら過ごしてきたのに・・・
描いていた期待とのギャップは大きかったです。

当たり前のように期待していた未来像とのギャップに苦しむ
どうして僕は、期待とのギャップに苦しむことになったのでしょうか?
いつも、
「未来がくればきっと楽しくなる。自由になれる。」
そう期待しながら、今を過ごし続けてきた僕でした。
そして約束の未来がやってきた時もまた、
「この先きっと、描いている未来がやってくる。だからもう少し辛抱しよう。」
そんな風に過ごしながら、目の前のニンジン(決して食べることのできないニンジン)を追いかけ続ける日々だったんです。
今の中に楽しみを見つけようとせずに、理想の未来ばかり期待していた僕でした。
そしてその未来がやってきた時・・、
現状と期待とのギャップを感じながら、再び理想の未来を期待してしまっていたんですね・・。
※参考 ⇒ 未来の為に今を犠牲にしない人生とは?

『期待しない』という言葉を借りた執着

『期待』という言葉は便利な表現です。
「君の為に」という印象を与えながら、実は自分の奥にある別の心理を巧みに隠せる便利な表現なんです。
『理想』・『夢』・『目標』
こういった言葉に僕が感じるのは、【自助努力】の部分です。
『自分で行動を起こして、そしてゴールにたどり着きたい』
という自助努力、セルフヘルプの精神をその裏に感じるんですよね。
でも『期待』という言葉からは、ちょっと微妙な別の要素を僕的には感じてしまいます。
それは何か、
偶然を期待しているとか、
思わぬ幸運を期待している、
自分以外の他の人が、何か自分に都合の良いことを起こしてくれる・・
そういった、他力の部分を期待しているような印象を感じてしまうのです。
「僕が今、人生に期待していることは、自分で立ち上がって実現できるものなのか?」
「それとも、自分以外の別の力に頼らないとどうにもならないことなのか?」
この辺りを掘り下げていくことが大切なんですよね。
しっかりと自分自身を知って、納得することが大事なんです。
ここを間違えてしまうと、裏切られたという誤った感情に支配される結果を待つだけの未来となってしまうんですよね。
我が子への期待という言葉の裏にあった親のエゴ
お子さまを持つ親なら、誰でも同じような傾向はあるとは思うのですが・・。
僕には、4歳の頃からミュージカルクラスに通っている高校生の娘がいます。
幼い頃は彼女に期待をかけながら、妻と一緒に歌やダンスを一生懸命アドバイスしていました。(歌もダンスも親の方は全くダメなんですけど(^-^;)
「〇〇ちゃんは才能があるから。やればできるんだよ!」
「先生も、期待しているよ。がっかりさせないでね。」
色々な言葉をかけながら発表会でうまくやって欲しいと、子どもへの期待を大きくかけていくのです。
子どもの方は、そんな事もわからず自由に練習して、飽きてしまうと親の言葉はもう耳に入りません。
「もう、〇〇ちゃんにはがっかりした。失望した。好きなことして、遊んできなさい。練習なんてもうしなくていいから。」
そんな突き放すような言葉を娘に吐きながら、実は練習に戻ってくれることを期待しているんですよね(笑)
親が勝手に期待をかけて、そして娘が期待を裏切ったと勝手に僕が受け取っていたんです。
「僕は娘を縛り付けているんだろうか?」
「力づくでも練習させた方が、娘の為にはいいんじゃないか?」
「今は嫌がっても、きっと成長したら良かったと理解してくれるんじゃないか?」
「練習が続かないのも、娘の才能の限界かもしれない。」
「出来ないことを強要するのは、お互いに不幸なのかもしれない・・」
色々な思いが交錯してきます。
どれか一つだけが正しい答えとも思えない、親の葛藤です(汗)
親としての多くの思いが絡まって、何が正しいのかがわからない中・・、
その中に1つあった確実な気持ちは、親のエゴです。
娘を思いのままにコントロールして、そして周りの人からの称賛を得たい。
いくらオブラートに包んだ表現をしようとも、人をコントロールしたいという親の気持ちがそこにあったんです。
期待という言葉を使った無意識にある一つの欲求
何かをコントロールしたい。
これは人が持つ共通した欲求であると、僕は思っています。
男性も女性も、意識しているいないに関わらず、誰もが密かに持っている欲求であるものなんです。
環境をコントロールしたい。
あの人が思うように動いてくれるよう、コントロールしたい。
収入をコントロールしたい。
休日をコントロールしたい。
人生をコントロールしたい・・。
全てを思うままにコントロールしたいという欲求を持っているものなんですよね。
小さなころに親から読んでもらった、『北風と太陽』という物語があります。
強い風でコートを脱がそうとすると、必死でそのコートをつかむので脱がすことはできない。
太陽でポカポカと気温を上げることで、地上にいる人は自分から脱ぎたいと思いそしてコートを脱いだ・・。
そんな物語なんですけど・・・。
僕の場合は、『期待』という便利な表現を娘に使いながら、あたかも『太陽』のつもりになって娘をコントロールしようとしていたんですよね。
僕自身、そんな欲求に気付かないままコントロールしようとしていたんです。
表面的には、優しい言葉をかけています。
北風のような力づくでということではありません。
太陽になったかのように、ポカポカと照らそうとしているつもりではあったのですが・・・。
実はその僕の根底には『娘を思うようにコントロールしたい』という欲求が隠されていたのかもしれない。
そんな可能性も決して否定できないと思ったんですよね。
期待の先に失望が待っているケース
コントロールしたい。
その欲求に気付かないまま、『期待』という言葉を使った先にあるものは失望です。
その期待が叶えられることは、ほぼないでしょう。
あったとしたら、その時は本当に感謝すべきです。
それはかけた期待によってではなく、当人の努力の結果だからです。
その期待の先に失望が待っているものと、そうでないもの。
その違いはズバリ、
【見返りを求めているかいないか?】
そこにあったんです。
自分が求めている結果を他人に求めている。
自分でコントロールできないものへの執着によって、苦しむことになるんですね。
娘がまだ赤ん坊の頃、僕は決して彼女に見返りを求めることはしていませんでした。
「もっと可愛く笑って。」
「もう寝て欲しい。」
「もっと静かに泣いて。」
そんな期待をかけることはあっても、見返りを求めてはいませんでした。
泣いても笑っても、鼻水を出していても全てが可愛かったから、僕の期待通りにならなくても幸せだったんです。
「あぁ、まだ眠たくないんだね。じゃあもう少し抱っこさせてよ。」
そのままでいてくれればいい。
そんな気持ちだったのが、いつの時点からか見返りを求める期待をかけてしまっていたんです。
それが結果的に、自分にも跳ね返って来ていたんですね。
人生に『間違った期待』をしない生き方

期待しても裏切られるから、もう何も自分の人生には期待しない。
わからないでもないですが、やっぱりそれは極端な選択であるような気がします。
王道は真ん中の安定した道にあるものです。
美しさも、幸せも、その中の道を歩むことで得られるものなんです。
期待にも正しい期待と、そうでない期待があるんですよね。
その基準の1つが先ほどお話しした『見返り』の部分です。
欲しいのか、与えたいのか。
見返りを求める期待は他人にかけない。
僕はそんなマインドを大切にしています。
それは営業という仕事では、逆の意味で役に立ってくれているんですよね。
「お客さんが僕にかけている期待は、どんなものだろう?」
お客さんがお財布を開く見返りとして、期待していることを考えている自分がいるんです。
求めているものを与えられなければ、仕事とはいえませんからね。
自分の方からは過剰に求めることはしないが、相手が自分にかけている期待には最大限応えよう。
でもその期待に左右されて、自分を失わないように注意はしよう。
そんなバランスは、絶対に必要なことなんですね。
人生の幸せを満喫できる真ん中の道については・・↓

期待よりも信頼を置く
自分の人生にも、他人の行動にも、何かに期待したいとき。
そんな時は、【期待】よりも【信頼】の方に重きを置くことにしています。
【期待】という言葉には、『結果』や『果実』に対しての強い気持ちを感じさせます。
期待する結果が得られなければ、失望してしまう。
自分でコントロールできない範囲のものにまで望む結果を求めてしまうと、苦しみのもとになってしまいます。
一方、【信頼】には『結果』への執着は感じません。
親が赤子に結果を求めないように、ただ見守って信頼している。
そんな感覚に近い感情です。
自分の人生に結果までを求めない。
もちろん目標をもってそこに全力を尽くすことはあります。
人生は挑戦の連続ですから。
『望む結果が得られなければ、失望して苦しむ』
というのであれば、結果への期待は最初から持たない方が良いと思うんですよね。
でも信頼だけは絶対に捨てません。
自分への信頼、自分の人生への信頼です。
結果が得られても、そうでなくても自分の人生を信頼している。
自分が尽くしてきた尽力を信頼している。
『人事を尽くして天命を待つ』
人生への信頼を置けている人は、この言葉の意味を強く理解できている人であるとも言えるのです。
人生を輝かせる正しい期待とは
努力によって得られる結果を決して、軽んじているわけではありません。
社会に出ると、いくら本人が努力をしても、周りから見えるのはその果実だけです。
美味しい果実を実らせることが出来なければ、
「一体、何のための木なの?」
と冷たい評価を与えられてしまう厳しさも確かにあるんですよね。
それでも、信頼を捨ててはいけません。
そして結果への期待は捨ててしまうことです。
期待するのなら、あなた自身の行動です。
今日1日、自分の人生の為にどんなことを実行しようか?
得たい結果の為に行う実際の行動だけに、期待をかけるのです。
そしてその行動を達成できれば、あなたは期待に応えることができたということです。
食器洗い、早起き、庭の手入れ・・・
どんな些細なことでも、その行動だけに焦点を当てて期待をする。
食器が上手に洗えたとか、雑草をくまなく抜くことができたとか、そのような結果は次回の為の反省材料にするだけのことです。
人生を変えるのは、あなたの現実の行動だけです。
そのリアルな行動にこそ、期待をかけてあげてください。
グッド・ウィル・ハンティングに学ぶ信頼の尊さ
『グッド・ウィル・ハンティング』という映画をご存知ですか?
名作なので、きっと観られたことのある人は多いと思います。
本当に素晴らしい映画なので、別の記事でこの映画のレビュー記事を書いています。
⇒ 理屈抜きに心をつかむ!人生を変える映画【洋画】を8つだけ厳選
人生と期待というテーマで記事を書きながら、この映画のことがずっと頭に浮かんでいました。
マット・デイモン演じる主人公は、天才ですが癖のある性格の人です。
難解な公式をいとも簡単に解いていく反面、その才能を世の中の為にうまく使えないんですよね。
そこには彼の生い立ちにも原因はあるのですが、『傷つきたくない』という欲求があったんです。
傷つきたくないから、振られる前に彼女から去っていく。
傷つきたくないから、傷つけられる前に人を傷つける。
傷つきたくないから、自分の能力を出して人からの評価を受けようとしない。
そして結果的に、彼の持つ素晴らしい才能を棒に振っていたんです。
運命の恩師に出会うまでは・・・。
ここからは僕の解釈ですけど、
おそらく彼は、人からふられて傷つくことを期待してしまっていて、そこから逃げていたんです。
才能に惹かれて近寄って来る人から傷つけられることを期待してしまって、遠ざかっていたんです。
そんな彼の前に表れた恩師は、彼を信頼しようと努めます。
何も期待することなく、彼を信頼するようになります。
そうして彼の心を覆っていた厚く固い氷が少しずつ溶けていくのです。
その氷が溶けた時。
そして裸の心が外に出された時。
大泣きに泣いて、全てを出し切る彼。
少しくらい傷ついても構わない。
大切なのはそこじゃない。
大切なのは、自分への信頼。
人生への信頼。
友人への信頼。
そして大切に思ってくれた彼女への信頼・・・。
あぁ、もう一回観たくなりました(笑)
まだ観たことのない方は、ぜひぜひ一度ご覧になって下さいね
色々と書いてきましたが、結論は・・
期待して得られるものは、期待通りの結果か、期待外れの結果か、どちらかです。
それをどう解釈するかが、問題だということです。
「人生に期待しない」なんて、ここまで読み進めてきたあなたなら、もう言わないはずですよね♪
どんな結果でも、希望へと繋げていくことはできる。
夢は必ず叶えられるのです!
あなた自身を深く信頼できる、あなたであるために・・・。
あなた自身への信頼が、人生を大きく変えてくれること。
ただ決めるだけ。7つの潜在意識活用術を知れば人生が思い通りに!を読めば、きっと自信と信頼を取り戻すことが出来るでしょう。

⇒今を我慢すれば楽しい未来が待っているという気持ちで、現在を犠牲にし続けていたから
⇒何かを思うままにコントロールしたいという欲求
⇒コントロールできないものへの執着によって苦しむ結果となる
⇒信頼には、『結果』への執着を感じないから
⇒あなた自身の行動。結果ではなく、行動そのものに期待する
【P.S.】
人生に行動と信頼が大切なのはわかった。
そして、結果への見返りを求めない期待を持ちながら今を楽しもう。
心の革命を起こし、あなたらしい人生を現実にしようと決意されたあなたへ。
良かったら、僕のメルマガをぜひ読んでみて下さい!
ブログとはまた違う、簡潔なメッセージを毎日配信しています。
登録者だけが読むものなので、時にはブログには書けない内容も書いてしまっていますが・・
もう何にも縛られることなく、心を思い切り解放させてあげたい。
少しずつ明るい考え方をインストールして人生を切り拓いて欲しい。
あなたの望む人生を引き寄せるためのヒントを散りばめています。
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