心からの喜びを感じる事柄の特徴とは?
あなたの人生に大切で喜びを与えるものほど・・・
バス釣り好きの友人から学んだ人生の極意
人生の喜びを得る人の共通した心構え
約7分です
これらの新しい祝福を得られるための所要時間は
人生には悲しみもあれば、苦しみもたくさんあります。
それと同じように、喜びも多くあるはずです。
ただ、『喜びや悲しみ』という言葉の頭に、『人生の』という言葉がつくと少し複雑になってしまうんですよね。
というのは『人生の』という言葉がつくことによって、時間やお金が関係してくるものだからです。
他の記事でも書いていますが、僕は、
【人生 ≒ 時間 ≒ お金】
と思っているんですよね。
このことについては、新常識!人生をやり直したいあなたへ。年齢は忘れてくださいで詳しくお話ししていますので、この記事では省略しますが・・、
喜びや悲しみの前に『人生の』という言葉がつくと、少し複雑になると言った理由。
それは・・、
喜びと思っていたものが時間の経過によって、実は無駄な時間だったと後で気付くことがあるからです。
時間の経過によって、評価が変わってしまうことがよくあるんですよね。
悲しみと思っていたものが、実は貴重な学びの材料で本当の幸せを教えてくれたものだった。
そんなケースもたくさんあります。
だから、
『人生の喜び。本当の喜びとな何か?』
ということについて考えるとき、時間の経過についても考えていかないと答えが間違ってしまうこともあるんですよね。
【欠かせない視点】人生と生活の違い
僕は学生時代の頃、遠藤周作氏の小説が大好きでした。
学生時代に休学して語学留学をした期間があったのですが、その時に覚えた英語も遠藤周作氏の英訳本を購入して覚えたくらいです。
彼のエッセイや小説の中で、彼がよく書いていたことは、
『人生と生活』は根本的に異なるもの。
ということでした。
彼の小説の中では、随所にそのような表現を散りばめています。
人生が、必ずしも喜びにあふれるものとなるとは限らない。
日々の生活だけを追求してそれを積み重ねた結果の人生の豊かさを追求する生き方が、日々の生活を楽しくするのかと言うとそれは必ずしも一致するものではない。
人生までをも退屈にするものであるとは限らない。
日々の退屈な生活が、
そのようなことを随所で述べているんですよね。
若い頃の僕は、この表現から強い印象を受けました。
そして50代に入ろうとしている今でも、何ら違和感を感じることなくこの考え方を受け入れられているのです。
『楽』な生活の積み重ねの結末
このことについては表現こそ違いますが、同じ意味の内容を言っている方はたくさんいます。
僕も『楽な人生』と『楽しい人生』という表現を別の意味として理解しながら、下の記事を書いています。
この場合、『楽な人生』とは言い方を変えると『簡単に手に入る楽しみ』と言い換えることができます。
『お酒を飲んで、乾杯!』といったことや、少し奮発して豪華なレストランに行ったりすることですね。
お金を支払う対価として、手に入りやすいものです。
『映える』という表現もありますが、華やかで周りから羨ましさを感じられるようなことが多いですね。
もちろん、普段の生活ではこのようなことを「楽しかったね。」と言ったりします。
でも、やはり明らかな違いは確実にあります。
『楽』ではなく『楽しい』ことって、その過程においては地味なことが多いんです。
映えることのない毎日ですが、ある日その積み重ねを確認して、
「なんて素晴らしい人生なんだ」
と心から湧き上がる感情を得られるものなんですよね。
地味にみえるもの。
それは、日々の地味な仕事であったり、ルーティンであったりします。
時には、
「ストイックだね。そんな退屈な生活、考えられない。」
と周りからはみられるものです。
やっている本人は決して、そんな風に感じてはいないものなのですが。
本当に退屈であれば、決して継続しないでしょうから。
語学留学時代に嫌だった質問
「週末は何をして過ごしましたか?」
月曜日に登校すると、決まって聞かれたこの質問が僕は嫌でしたね。
学生時代に語学留学のため、カリフォルニアに少しの期間住んでいた頃のお話しです。
英語を覚える為の学校ですから、もちろん大切なコミュニケーションの一つではあったのですが・・・。
これと言って、面白い回答が出来るような過ごし方をしていなかったんです(汗)
最初は色々と観光地を巡ったりしていましたが、3週間もすると普通の生活になじんできます。
部屋で本読んで、テイクアウトのピザを買いに行って、適当にビール飲みながら終わる休日です(^-^;
これと言って『映える』話がなかったんですよね。
僕自身はとても楽しくて充実した日を過ごせてはいたのですが・・。
外目からは決して派手な生活ではなく、むしろ地味に過ごしていたんです。
そして・・、
あれから20年以上が経過している今、思い出すあの時期のこと。
それは色々な派手な瞬間よりも、部屋で悶々としていた時間の方です。
楽しくて、喜びを感じていた時間でした。
絶対に持っておきたい人生の土台となるもの
人生の本当の喜びを知るために、欠かすことのできないもの。
それは、あなたの確固たる人生観です。
あなたがどんな人生観を持っているか?
その土台があって、はじめて喜びを知ることができるものなんです。
人生観という土台です。
この土台は、『楽な時間』ばかり求めてきた経験からは得られるものではありません。
あっ、誤解しやすい表現をし続けていますので申し上げておきますが・・・、
僕は楽な時間が無意味であるとは、全く思っていません。
お酒を飲んだり、ビーチでゆっくりと寝そべりながら楽しく過ごす。
そんな時間も大切なものです。
修行僧のような日々だけの連続もまた味気ないものだと僕は思っています。
両方必要であって、お互いが生かされている関係なんです。
ただ、人ってどうしてもお金を払って、軽く手に入る楽な時間の方を求めがちなんですよね。
一方で人生観という土台は、努力や毎日のルーティンといった経験によって築かれるもの。
一見退屈に思えるこの経験があなたの底力となって、あなた特有の雰囲気をつくってくれるものなのでしょう。
求めるものではない?人生の喜び
ハワイが好きな僕は、こうして記事を書いている時もよく現地の動画を流しています。
どれも同じような動画なんですが、その日の気分によって感じ方も違ってくるんですよね。
「はぁ~、行きたいなぁ。でも家族全員が休みを取れる日はまだまだ先かぁ・・」
そんな気持ちになる時もあります。
そんな時って、苦しくて重たい感情に支配されてしまいます。
でも調子がいい時なんかは、
「あぁ、本当に向こうに行っている気持ちになれている。楽しいなぁ。癒される・・」
そんな風に感じながら、幸せを感じます。
外目からは、カチャカチャとパソコンの前で作業している同じ姿です(笑)
苦しくなるのも自分
癒された気持ちになるのも自分
どちらを選択するかの違いだけです。
宝探しゲームのようなものですね。
人生の喜び探しのゲームです。
その喜びは・・・、
どこかに隠れているものではなく、ある条件によって選択するものなんです。
大切なものほど・・・、にある共通点
幸せや、喜び、大切なものほど、直接求めても手に入らないものという共通点があります。
お金だってそういう一面を持っています。
直接求めるより、お客様が喜ぶサービスを必死に考えていく時の中で、オマケのようにお金が入ってくる♪
そんなものですよね。
目に見えるお金ですら、そんな性質を含んでいるのです。
大切なものは目に見えない。
論理だてて説明することは出来ませんが、これも本当のことだと僕は思っています。
目に見えない幸せや、人生の喜び。
それらも大切なものであるからこそ、直接求めるものではないのです。
また直接求めている限りは、決して手に入らないものなんです。
人生の喜びって何だろう?
喜びに溢れる人生が欲しい。
そんな風に考えている間は、それを知ることは難しいでしょう。
人生の喜びは、毎日の地味なルーティンの積み重ねによって時々顔を出してくれるものだからです。
絵描きの方であれば、絵を描く毎日の生活
豆腐屋さんの店主であれば、朝早くから豆腐をつくる毎日
お花屋さんであれば、雑草を抜いたり水を与えたりしてお花を育てる日々
そのようなぱっと見、地味な日々のなかでこそ、人生の喜びを感じることができるものなんです。
「あなたは何者だったの?」
人生の最期にそう問われた時に、答えることができる内容。
それは、そのような地味な日々の積み重ねであるはずです。
バス釣りが趣味の友人から学んだ人生の喜び
僕の友人にバス釣りが趣味の方がいます。
趣味というより、もうプロと言ってもいいくらいの人です。
その人が教えてくれたバス釣りのコツが、僕の印象に強く残っています。本人は何気ない気持ちで軽く言っていたものだと思うのですが・・
【自分を釣り人と思わずに、魚になったつもりになる】
ということらしいのです(笑)
ルアーを投げる時も、魚が思わずパクッと食いつきたくなるような投げ方を心掛ける。
自分が魚だったら、あの場所にじっと隠れて変な船が過ぎ去るまで動かずにいようとするはずだ。
そんなことを考えられる時が調子のいい時なんだと言ってました。
自分は釣り人 vs 相手は獲物
お互いが対立するような立ち位置ではなく、
『自分も魚。相手も魚。』
そんな視点なんですね。
人生の喜びも、それに似たようなものだと思いませんか?
喜びを釣り上げようとしても、逃げられるだけです。
喜びの方から寄ってきたくなるような日々を過ごすことの方が、大切な視点だったんです。
【断言】人生の喜びとは『感動』のこと
一言で言ってしまえば、『感動』です。
感動できるような人生こそが、本当の喜びのある人生です。
人生の終わりが近付いた時に、自分の一生を振り映画のように鑑賞した時・・。
感動出来るような物語になってくれるだろうか?
僕の人生の物語は、感動を与えられるような作品になってくれるだろうか?
今日1日は、感動できる人生に繋がってくれる時間だっただろうか?
既に話したように、人生という視点からみた日々の生活は地味で華やかさに欠けるものです。
その1日だけをみると、お世辞にも楽しいとは感じることは出来ないことだってあります。
でもそんな地味な1日すら楽しく感じられるとしたら・・・
楽しみながら歩き続けることができるとしたら。
地味な毎日も楽しめて、感動できる人生も実現できるとしたらこれはもう最高の人生と言ってもいいでしょ?
変えられない人生はない
日々の生活も、もちろん大切なものです。
生きる為のハリと言うか、スパイスのような働きをしてくれるものなんですよね。
ただしパンチの利いた日々の連続が、人生の物語を感動させる作品に仕上げることとは限らない。
これも今まで書いてきた通りです。
日々の生活においても、時々は『全体像』を把握する視点も必要なんですよね。
全体を把握して、細部を責める。
何だか受験生へのアドバイスのようですが、人生にも同じような戦術が使えそうですね(笑)
あなたの人生をどのように完結させたいのか?
もちろん明確なイメージを描くことは難しいことだと思います。
でも、ぼんやりと思考してみるだけでも、新たな視点をあなたの中に入れる良い習慣となってくれるものです。
全体と細部。
両方の視点を持つことで、人生は本当に変わります。
喜びの本質にある共通点
喜び溢れる人生のためには、ここが欠けてはダメだという共通点があります。
それは受け身ではなく、能動的・主体的な姿勢です。
自分の人生だから、自分でつくりあげるという主体的な姿勢が必要なんです。
「お金払うから、面白いこと持ってきて~」
「何か面白いことして、笑わせて~」
そんなマインドでは、本当の楽しみを得ることはできないものなんですよね。
自分で行動する。
自分で努力する。
そして時間に耐える。
そんな人に与えられるご褒美が、喜び溢れる人生なんです。
自分の人生を自分でつくり上げる。
その行為自体が喜びそのものなんです。
そこに気付いたとき、日々の生活と人生が一致した最高の状態を経験することができます。
僕も自分の人生の時間をできるだけ、そんな状態に保ちたいと願っているのです。
生活と人生の一致。
理想の状態ですよね。
マインド論に疑問を感じているあなたへ
僕が時々紹介している『引き寄せの法則』ってありますよね。
もちろん僕も習慣として使っているものですが、その効果に疑問を感じる人も結構おられます。
確かに効果があるかどうか、すぐに判別できるものではありません。
「そんなことやる暇があるなら、目の前の作業に没頭した方がよほどゴールに近づける。」
そのように思われることも十分に理解できるのです。実は僕自身も、そのように思っていた一人ですからね(^-^;
「既に成功者になったつもりで、振る舞え」
なんて言われても・・・、
朝起きて乗りたくもない満員電車に乗る毎日に、理想と現実とのギャップを感じているのです。
そんな毎日を過ごしているのに、悠然とした成功者のような振る舞いをしていても、ただの痛い人に映ってしまうのは目に見えています(笑)
全体と細部。
ここでも、この両方の視点が大切なことを教えてくれます。
遠いゴールを描いたところで、気が萎えてしまう。
「そんなはるか上をみて『夢見る夢子ちゃん』になるよりも、視点を足元に移して今日の1段を登っていくことの方が大切だ」
そのように言われている人も、実は全体的な視点を必ず持っているものなんです。
そして方向修正しながら今日の1段を着実に登って行っているものなんです。
僕のように、全体像を重視するかのように言っている人間だって、実は今日1日の地味な一歩をとても大切にしているのです。
どちらか一方を否定するというよりも、包み込むもう一つの視点はないかな?
ぜひぜひ、そのように考えてみてください。
自分の人生を創りあげていくつもりで
後から振り返って、
「本当に楽しかったなぁ。充実していた日々だったなぁ。」
そんな風に感じる日々は、確かにスパイスの利いた瞬間であることも事実です。
初の海外出張の瞬間。
海外の友人に誘われたパーティーで感じる新鮮な体験。
母国語の異なる人たちと楽しんだスキー・・。
そんな瞬間を確かに思い出すのですが、必ずセットとして付いてくる記憶はそんな日々を実現させてくれた下積みの時期です。
目立たず、地味。
地中で根を広げているだけの期間。
自分にしかわからないそんな期間を必ず思い出すものなんです。
そうした経験こそ、時間が経てば経つほどに、いぶし銀のような味わいを添えてくれるものなんですよね。
本当に喜びを感じる時は、消費している時ではないということです。
「お金払うから、美味しいもの運んできて」
と言ってむしゃむしゃと食べている時ではないんです。
もちろん、そういった瞬間も大切なものであることは既に書いた通りですが・・。
本当の喜びを感じる時は、何かを生産している時。
何かを与えて、誰かが喜んでくれいている人生。
そういったものなんですよね。
そういったことに感動する性質が備わっているのが、私たちなんだと思っています。
もうこれは、人生観、価値観の世界なので押し付けできるものでもないのですが・・
自分の娘や妻に、もうこれ以上苦労をかけたくない。
いつまでも親から心配される自分は嫌だ。
家族に安心と豊かさを与えられる存在になる!
そんな気持ちが、僕の原動力となって実際に実現できているという事実もあるわけです。
自分がどうこうというよりも、誰かに喜んで欲しいという気持ちですね。
そして結果として、自分の人生を日々創りあげているという実感を得られる。
もちろん、大きな喜びも♪
あなたの人生の喜びのために、この記事が少しでも参考になれたら僕も人生の喜びを得ることができます(笑)
人生の喜びが、あなたに寄ってきたくなるような考え方については・・・、その使い方、危険!?引き寄せの法則によくある典型的な間違いに書かれているのでぜひ読んでみて下さい。
⇒『人生』と『生活』は異なるということ
⇒その日々、過程では地味に見えることが多い
⇒直接求めても手に入らないもの。目に見えないもの
⇒釣り人vs獲物という対立関係ではなく、自分を魚だと思う
⇒自分の人生は自分でつくりあげるという心構え
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