生きることだけを考えることが、充実した人生の為には不十分である理由
人は何も持たずに生まれ、何も持たずに終えていくが・・、
人生に最後があることで、気付かせてくれること
あなたの心の中に革命を起こし、人生を好転させる習慣
約7分です
これらの新しい祝福を得られるための所要時間は
地上波のテレビはほとんど見ない僕ですが、最近は過去の大河ドラマをよく見ています。
現代人の私たちよりずっと『死』というものが近くにあった時代を生きた、戦国のお侍さんたちの物語です。
こうしたドラマを通して感じること。
それは、『長生き』への価値よりも、武士として『どう生きたか』という武士道のようなものに価値を置いていることです。
その時代に生きたことがないので、実際のところどうだったのかはわかりませんが・・。
寿命が尽きるという形で人生を終えるのではなく、外的な要因で人生の最後を迎えていた人が多かった時代。
その可能性が大きかった時代では、『存分に生きる』ということを何よりも大切にしていたのでは?
そんなことを勝手に想像するんですよね。
『生』を輝かせるために『人生の最後』を考える
対象としている物事の対極を見つめる。
物事の本質を見極める時に、とても有効な手段です。
欲しいもの、憧れていること、手に入れたいものがある時・・、
僕たちは、『それしか見えない』状況になってしまいやすいものなんですよね。
一言で言うと、視野が狭くなってしまうんです。
そうした時に、その対極にあるものに光を当ててみると・・・、
それまで見えてこなかったものが、パッと視界に広がってくるんですよね。
『死』というものも、それにあたります。
人生の最後を考えるのは、晩年にさしかかった人たちに多いのかもしれません。
僕はまだ50代手前の人間ですが・・・、
「後悔しない人生って、どんなものなのかな。」
そんなことを考えることが増えてきたなぁと、感じるんですよね。
それは、『生』への欲求が強いことの表われでもあります。
死のことなんて、今は考えたくはない。
ただ生きていたいから、考えることもない。
そうした考えを持っている方は、今がその時ではないというだけのことです。
人生を活かしきるために、人生の最後のことを考える。
この記事を読んでいるあなたは、きっと誰よりも人生を燃焼させたい、存分に生きたいという気持ちを持っているのだと思います。
『生』の対極、『死』は別個のものではない
人生の生と死を突き詰めて考えると、それらは別個に切り離せるものではなく、一体のものであることがわかります。
『死』というものをどこかで、タブー視してしまう気持ちもまた理解できます。
僕も普段は、『人生の最後』のことなんてまだ遠いどこかにあるものといった感じで、日々を過ごしていますから。
でも皆さん、わかっているはずなんですよね。
生がなければ人生はないように、死がなければ人生はないということです。
人生には『生』が必要であり、『死』も必要なものなんです。
生も死も一体となって、生命をつくっているものなんですね。
だからどこかで、『生』の対極である『死』ともしっかりと向き合うべき時はあるものなんです。
向き合うべきというと表現がおかしいですね。
向き合いたくなる時があるものなんです。
それは、あなたの人生を充実させていくための、本心からの欲求でもあると言えるものだからです。
永遠の生命と、今日限りの生命
数十年という人生が長いか短いかは、その時その人がそれぞれ感じるものです。
ただ、あらゆる人にとって間違いのない真実。
それは、今日、明日、1年、2年・・と積み上げて完結されていくのが人生だということです。
目標を持つことが大切だとよく言われますが、目標とは今日という時間だけで完結できないものなんですよね。
スティーブジョブズの有名なスピーチにあるように、
「今日が人生最後の日であるとしたら、何をするか?」
この考えには僕も、大きな魅力を感じます。
でも・・、
5年後、10年後の自分のために今日は何が出来るのか?
人生にはそんな視点もまた必要なものなんですよね。
今日一日という視点だけで、人生を何十年も続けていくには無理があります。
その反対に、
人生の最後だけを見つめながら、何日も何日も生活を続けていくこともまた無理があるものです。
どちらか一方に偏ってしまうと、バランスの悪い生き方になってしまうんです。
現実には、『肉体的な現実』と『精神的な現実』、この2つがあるんですよね。
肉体は長く生きようと、細胞は今日も頑張っています。
精神は今日1日限りの命と考えていても、心臓は動き続けます。
肉体は数十年動き続けると、だんだんと衰えてきます。
精神は数十年生きているうちに、だんだんと鋭敏になり永遠すら夢見ることだってあります。
肉体的な現実。
そして精神的な現実。
これらのバランスを取っていくことが、しっかりと根の付いた人生を実現させていく唯一の方法でもあるんですよね。
ゼロから始まり、ゼロで終わる。しかし・・
小さな体一つでこの世に生まれ・・、
年齢を重ねながら、恋人や家族、大切な人間関係ができて・・、
財産を築き、そして人生の最後の日がやってくる。
ゼロで生まれて、ゼロに帰っていくのが人生です。
ゼロの状態で生まれて、色々なものを手にして、自分のものだと喜びを感じる時を過ごし、
そして、それら全てを手放さなければならない日がやってくる。
人生の最後は、何も持たずに終えていくものですよね。
でも・・、
同じゼロであっても、生まれた時のゼロと人生の最後に感じるゼロは違います。
最も大きな違いは、記憶です。
人生で深く関わってきた周りの大切な人たちへの影響、幸せに感じた心の記憶。
そうした形にないものをしっかりと持っているはずなんです。
形に無いもの、目に見えないものこそが人生の価値であることは、人生の幸せとは?たった1つの質問から得られた大切な答えで詳しくお話ししています。
人生の最後がある理由
何か、触れたくないもの。
どこかタブー視されているもの。
それが人生の最後である死というものですが、誰にでも必ずやってくるものでもあります。
もしかしたらこの広い宇宙、どこか遠くの星の文明には寿命が200年とか500年生き続ける生命体が住んでいる星もあるのかもしれませんが・・(笑)
でも宇宙広しと言えども、死の無い文明の星は多分ないと思うんですよね。
どんなに環境の異なる、遠くの星で生まれた生命であっても・・、
生まれてきて生きている以上は、必ず死もどこかの段階で待っているはずです。
そう考えると、人生の最後にも何か必ず意味があるものだと思えるんですよね。
人生の真の価値を知るためのヒント
人生の最後があることで、『限られた命』をより大切に考えられるようになります。
私たちの人生・・、
人生の最後の瞬間、死の瞬間だけに満足できたらそれでいいのか?
最後の瞬間さえ満足できれば、生まれてから死ぬまでの時間はどうでもいいのか?
そもそも、そんな人生ありえるのか?
人生の過程は散々であっても、終わりの時に満足できる人生なんてあるのか?
どんな終わり方をしたいのか?
そういったことを否応なしに考えざるを得なくなるんですね。
人生の本当の価値って何だろう?
全ての命は有限だからこそ、そういったことも真剣に考える時間があるのだと思います。
人生の最後に向けて逆転する価値判断
人生で何の価値もないものだと感じていたものが、突然意味を持って迫ってくることがあります。
それとは逆に、
日常生活の中でいつも追い求めていたものが、ある時点で突然色褪せてしまうようなこともあるんですよね。
それは、人生の最後があるからです。
道端に落ちている石ころのような日常の出来事。
それが人生の最後に近付くにつれて、
「こんなにも価値のあるものだったんだ・・。」
そう気付く時。
「早くビールを飲みたいから、もういい加減に静かにしてくれ!」
駄々をこねて泣きじゃくる小さな娘に対して、大きな声で怒鳴った僕。
その時はビールを飲むひと時が、自分にとって何よりも大切なものでした。
日曜日の夕刻の時間帯です。
今は高校生になっている娘のことですから、もう10年以上も前の日常の一コマです。
年齢を重ねた今の僕から見ると・・・、
その時のビールなんでどうでもいいもの、全く価値の無いものに変わっています。
それよりも、駄々をこねて泣きじゃくっていた娘を思い出しながら、
「あの時の時間が幸せだったんだなぁ」
なんて思うものなんですよね♪
高校生になった娘からはもう、見ることのできない姿です。
本当の喜びとは何だろう?
今の僕にも、その答えをハッキリと言い切れる自信はありません。
ただ確かなことは、人生にはそのような価値の逆転が存在するということです。
人生の最後があるという厳粛な事実があることで、そうした答えに迫ることもできると思えるのです。
限りのある人生は自然摂理の恵みでもある
これは僕がまだ小さな小学生だった頃でした。
学年で言えば、2年生くらいだったと思います。
集団下校をしていた日、ハッキリと覚えている一コマがあるんですよね。
一緒に並んで歩いていた、隣の生徒に質問を投げかけたことです。
「ねぇ、死ぬことのない不死身の体は欲しい?どう思う?」
そんなことを会話の中で、僕は隣で歩いているクラスメートに何気なく聞いてみました。
「うん、欲しい。だって、ずっと生きていられれば何でもできるから♪」
そんなことを言っていた彼に対して僕は、
「俺は嫌だなぁ。なんかキツイよ。永遠に生き続けるなんて。」
そんな返答を僕がした時の一コマです。
変わった子供だったでしょうね・・(^-^;
前を歩いていた先生は、その背中しか見えませんでしたが、クスクスと笑いをこらえていたのをその後ろ姿から感じていました。
幼い僕の正直な会話だったのですが、その先生が笑っていた理由が当時の僕にはわかりませんでした。
制限があるからこそ、人は頑張れるものなんです。
有限だからこそ、人生は価値があるものなんですよね。
人生の最後に後悔を残さない心の革命とは
最後は心穏やかに、平穏な気持ちでいたい。
多くの人が持っている願いではないでしょうか。
僕も、人生の最後にはそんな心境でいたいなと、そう願っています。
人生の最後の瞬間には、心安らかな心境こそが価値あるものの全てであると感じるものだと思うからです。
そんな最後の瞬間を迎える為には・・・、
最後の瞬間だけでなく、その過程こそが重要であることもまた揺らぐことのない真実だと僕は確信しています。
最高の最後を迎える為の、人生の過程とはどんなものなのか?
突き詰めて考えていくと、結局行きつくところは
『どのような心境でいられるのか?』
というところになってくるんですよね。
人生の最後の後も続く世界を想像してみると・・
死後、自分のいなくなった世界をもし見ることができたとしたら・・
想像の中だけの世界ではありますが、時折そんなことに思いをはせることで感じること。
それは、全力で生きるべきだということです。
あの世があるとしても、ないとしても・・、
いずれにしても、この人生を見事に完結させたいと思うんですよね。
僕がいなくなっても、この世界に大きな変化はないでしょう。
いつも通りに時間は進んでいくはずです。
家族には多少の変化が起こるかもしれません。
もしかしたら家族以外に僕と関わった人たちにも、その人たちの心に多少の影響を与えることになるのかもしれない。
考えてみると、世に名を残すような人ほど、より多くの人の心に何らかの影響を与えていることがわかります。
そして誰一人として、他人に影響を与えることなく、その人の人生を一人で終えていく人はいないと思うんですよね。
自分以外の誰か一人くらいの人に、何らかの痕跡は残すものです。
生きているということだけで、何らかの影響を残しているのです。
それが自分の子どもや家族であれば、その影響はより強くなります。
悲しみの痕跡も、幸せの痕跡も残していくことになるでしょう。
何も持ち越すことなく、借金も残すことなく、人生を完結させたい。
そんな気持ちになってきます。
経験、記憶、感情を大切にする
人生には、失敗や挫折がつきものです。
もちろん、成功を味わうことだってあります。
でもそうしたことそのものには、大きな意味はありません。
意味があるのは、そうしたことから得られる経験の方です。
記憶として残る感情こそが、大切なものなんですよね。
平凡な日常生活では、短期的な成功を望みがちではあります。
でも挫折や失敗であっても、それらが人生に欠かすことのできない大切な宝物となるのです。
それらが経験として、記憶として、あなたの心に刻まれるものだからです。
失敗を成功に変えていく過程
挫折を栄光に変えていく過程
悲しみを川に流して、爽やかさを記憶に残すまでの過程
価値観の逆転はどこかで起こることになります。
それこそがあなたの人生の宝物となってくれるのです。
『愚痴』や『文句』の誘惑に勝つことで起こる心の革命
これは僕自身がいまだに捨て去ることのできない、大きな課題でもあります(汗)
どうしても、愚痴や文句を言ってしまうことがあるんです。
でも僕自身、よぉ~くわかっているんですよね。
愚痴や文句は人生を虚しくさせる、麻薬なようなものなんです。
確かに愚痴や文句には、一瞬だけ心を晴れさせるような働きがあります。
でもそれは人生から逃げる、逃げの延長に過ぎない行為なんですよね。
あなたの人生から、もし・・・
もし『言い訳』や『文句』、そうしたものを完全に捨て去ることができたら、それはあなた自身の内側からの革命を意味します。
それはあなたの魂の力です。
魂の筋トレ。
魂の強さは、そのまま人生の成功に繋がっていきます。
具体的には、収入が増えるでしょう
素敵な異性との出会いもあります
望むものが手に入ってきます
引き寄せの力が更に強くなります
そしてその後には、欲に翻弄されないための次の課題がやって来るのですが・・・。
人生の最後まで、課題は続くものです(汗)
文句、愚痴を言わない。
この単純なハードルを超えることが、全てのスタートラインなんです。
でもこの単純で、最も難しいハードルを超え続けることで、あなたの人生は本当に好転していきます。
このことは、引き寄せの法則で嫌なことが続く時は喜んで!それは心の大掃除だでもお話ししていることですが・・・、
嫌なことや、愚痴がでそうな状況こそが、あなたにとっての本当の幸せを教えてくれるものなんです。
そして、魂の力が鍛えられ、望んでいる人生を引き寄せる力にも繋がるものなんですよね。
人生の最後は必ずやってきます。
だから今すぐ、この単純なハードルを超えていこうと決断して下さい。
愚痴や文句はもう言わない。
「存分に生きた。」
そう言える最後が来るまで、存分に人生の過程を過ごしていきましょう。
あなたの中にも、人生を好転させる大きな力を秘めているのですから♪
⇒視野が狭くなっているので、その対極に光を当ててみる
⇒人生は『生』と『死』が一体となっているから
⇒人生の最後には、幸せに感じた心の記憶が残っている
⇒今は何の価値もないことが、突然大切なものに変わることが人生にはある
⇒愚痴や文句を言わないことで、魂の力を強くする習慣
【P.S.】
人生の最後には笑っていたい。心穏やかでいたい。
そして何より、人生そのものを充実させていきたい。
心の革命を起こし、あなたらしい人生を現実にしようと決意されたあなたへ。
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ブログとはまた違う、簡潔なメッセージを毎日配信しています。
登録者だけが読むものなので、時にはブログには書けない内容も書いてしまっていますが・・
もう何にも縛られることなく、心を思い切り解放させてあげたい。
少しずつ明るい考え方をインストールして人生を切り拓いて欲しい。
あなたの望む人生を引き寄せるためのヒントを散りばめています。
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