僕が不老不死を望まない理由
持っていないものを欲しがって苦しむよりも・・
『死』というものが天からの恵みだと感じたきっかけ
本当の成功者とは、自分の人生を生ききった人。そして・・
約8分です
これらの新しい祝福を得られるための所要時間は
私たちの人生にはいつか終わりがやってきます。
当たり前のことですよね。
わかりきっていることなんですけど、普段から意識することは、まぁないと思います。
その理由の一つは、いつやって来るかわからないからでしょう。
明日くるかもしれないし、50年後、80年後のことかもしれない。
いつかは必ずやって来る人生の終わりであっても、そのタイミングはすぐ先のことなのかずっと先のことなのか、わからないからです。
そんなこと考えるくらいなら、
「今日の晩御飯は何にしようか・・」
「お客さんに頼まれたこの書類を作成しなきゃ」
目の前のタスクを考える方が大切であり、優先すべきことでもあるように思えます。
私たちが100%の確率で、人生の終わりを迎えることはわかっています。
でも忘れてはならない、もう一つの視点もあるのです。
それは・・・、
その日が来るまで生きていくという事実です。
そんな風に考えていくと、人生は有限だから生きていくこともできるものなんだと思えます。
有限な人生にある避けられない苦しみ
全ての人達が持っている欲求。
それは、痛みや苦しみから逃れたいというものです。
毎日のお掃除やお片付けが面倒で苦痛だから、掃除機や食洗器が売れるわけです。
歩いて移動する時間と苦痛を小さくするために、車が発明されたとも言えますよね。
そんな掃除機や洗食器、車のように・・、
物事には避けることのできない苦しみはありますが、それによって創られるものもあるわけです。
一番有名な人生の苦しみといえば、四苦といわれる4つの苦しみですよね。
『生老病死』の四苦です。
いくら苦しみから逃れたいという欲求を持っている私たちでも、この事実そのものを避けて通ることは不可能です。
苦しみを和らげる方法や考え方はあるにしても、そこから逃れることは決してできないものなんですよね。
そのような苦しみからは、抗うことなく受け入れる。
それも一つの手段です。
そうすることで、幸せな人生を歩いていくこともできるものなんです。
【生】苦しみの世界に生まれること
これから生まれてくる赤ちゃんたちは、この先多くの経験をしていくのでしょう。
色んな夢を抱いて切磋琢磨し、喜びを感じる経験を多くしていくはずです。
それと同時に、苦しみや悲しみもどこかで必ず経験することになる。
それも、避けることの出来ない事実です。
どんな環境に生まれても、全ての人は喜びの経験も悲しみの経験も必ず経験することになっています。
私たち全てが、生まれてきた瞬間、終わりもやって来るという宿命を背負っている存在ですよね。
赤ちゃんを見る時、どこか『可哀想』というかすかな感情が生まれるのは、そんなことを考える時です。
「あぁ、泣くことしか知らない純粋で綺麗なこの赤ちゃんも、学校に行って、社会人となって色々な経験をすることになるんだな・・・」
そんなことがチラッと思考の中に浮かんできたりします。
当然、その現実から逃げることはできません。
逃げることは出来ませんが、生まれてこれたからこそ、幸せなことだって多く経験することもできるのです。
これもまた確実なことですよね。
幸運な状況に目が向いてくれると、生まれてくることは、必ずしも苦しみだけではないことがわかります。
この時代に生まれて良かった。
医療が発達している現代で良かった。
この国に生まれて良かった。
あなたに出会える、この時代に生まれてこれて良かった。
多くの感謝を発見できるのです。
【老】体が思うように動かなくなる苦しみ
50代、60代、70代と年を重ねながら、老いていく苦しみと直面することになります。
老いという現実からも、誰一人として逃れることはできません。
自分の体、自分の肉体なのに言うことを聞いてくれないのです。
コントロールできなくなるこの苦しみ。
自分のものと言い切れるのは、自分でコントロールできているものだ。
今はこの自分の肉体すら、思うように動かすことができない。
もう自分の体だと言うこともできないのか・・・
自分の体すら、自分のものではない。
老いていく、この変化を止めることはできない。
そのように時間の経過によって生じる変化(老)を受け入れた時、一つの思いが頭に浮かんできます。
「『老い』という現象があるから、僕たちは死への準備ができるのかもしれない。」
五体満足、肉体を自由に動かせるままの状態で、もし死を迎えるとしたら・・。
健康な状態のままで死がやって来るとしたら、どれ程の悔しさと恐怖を感じるだろうか?
少しずつ老いていき、この体が言うことをきかなくなってくる。
そんな現実を日々受け入れながら、やがてやって来る人生の最期への準備期間を与えてくれているのではないか?
そう考えると、老いという現象も一つの慈悲であるとも言えますよね。
【病】健康が当たり前でないことを思い知る
病気。
体に辛さを感じている時ほど、無力に感じる時はありません。
僕は病院嫌いの健康体の持ち主ですが、厄年の頃に入院を経験しました。
自分で立ち上がりトイレに行くのも一苦労だったそのとき、家族のありがたさが身に染みましたね。
何の痛みも感じることなく、朝起きることができる。
そんな当たり前だと思っていた状態が、本当にありがたいことだったことに気付くわけです。
美味しく食事をとることができる。
夜はぐっすりと眠ることができる。
埃っぽく感じた時は、思い切りくしゃみができる。
普段は何とも思わないそんなことでも、一時的にも失ってみるとそのありがたさがわかります。
もう値段は気にしないから、この苦しみを取って欲しい。
そんな風に感じるようになるからです。
(参考) ⇒ 病気・・、楽しくない出来事に寄り添うことで見えてくる人生の宝
【死】人生は永遠ではない現実
そして極めつけは『死』です。
死というものがあるから、人生は有限なんです。
どんなに想像しても、この未知の領域を知ることはできません。
「明日から目覚めないって、どんなものなんだろう?」
そんなことを考えても答えなんて出ませんよね。
ただ、もし私たちが『生』のまま、『死』ぬことのない存在だとしたら・・、
永遠の『生』だけの存在であるのなら、
生まれてくる意味ってあるのでしょうか?
死の宿命を背負わない生に、意味なんてあるのでしょうか?
死があるからこそ、自分の人生のゴールも設定しようとするものなんです。
『死』があるからこそ、『生』も『老』も『病』も意味があるものになってくれるのだと僕は思います。
卒業する時がくることをわかっているから、学生生活だって充実させようと思うものです。
同じように、死という歴然とした終わりがあるからこそ、人生を豊かにさせたいと思うのではないでしょうか。
有限の『はかなさ』の中に生きている私たち
改めて申し上げるまでもありませんが、全ての事がらは常に変化しています。
同じ状態で維持し続けることは、絶対にないことです。
桜咲く並木道を
「綺麗だなぁ~」
と歩く愛犬との日々も毎年のことですが、それもあっと言う間に終わってしまいます。
「この美しい花たちを、もっと見ていたいなぁ・・。」
と思いつつ、2週間も経てばすぐに葉桜になって寂しい気持ちになる。
それも毎年のことです。
そして次にやって来るのは、灼熱の季節。
季節の頂点。
解放感溢れる季節を満喫しながら、凋落の予感をどこかで感じるこの季節。
上り調子の人生を謳歌していた時期もまた、お盆が過ぎるとあっという間に過ぎていってしまいます。
そうして収穫の季節を迎え、やがてやって来る冬への緊張感を感じながら身支度を整えるのです。
環境は常に変わり続け、その変化に対応しながら私たちは過ごしていきます。
「好きな季節がずっと続いて欲しい」
そうどんなに願っても、それは無理な相談なわけです。
常夏の地域に行けばいいじゃないか。
そう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
『全ては動き続けて変化し続けている』
という事実を曲げることはできません。
地球だって自転しながら、公転しているのです。
多かれ少なかれ、全てのものは確実に変化しながら動いているということです。
有限の人生で永遠の若さを手に入れたとしたら
不老不死。
ほんの一瞬、憧れを感じる言葉ではありますが、僕には必要ないものですね。
体が自由自在に動き、肌もプルプルの最高の状態。
そんな若さをいつまでも保っていられるとなれば、確かに魅力を感じるのですが・・・
50代手前の今、僕が感じることは『今には今の良さがある』ということなんですよね。
確かに体も頭の回転も、昔と比べると落ちていることは感じます。
でもその時、別の扉が新しく開いてくれるものだということも、わかってきているからです。
『失いっぱなし』ということはないということも、この世の原理原則です。
何かを捨てることで、新しい何かを得ることができる。
若い頃の自分の顔をみて、
「若いなぁ。皺もシミもなくて、美男子じゃないか」
なんて思ってしまうことも正直あるのですが(笑)、その若さに留まりたいとは思うことはもうありません。
確かに、体型も体調も変化してきています。
同時に、心境の方もそれなりに変化してきているんですよね。
今には今の楽しみ方がある。
人は過去に生きることは出来ない。
未来に生きることも出来ない。
だったら、今の良さを十分に感じる能力を身に付けてもいいのでは?
そんな風に感じられるようになってくるんですよね。
今と未来を貫く幸せ。
そんなことを考えるようになったのは、若さという一つの宝を失ってきているからとも言えます。
そのかわり、別の宝が僕の手元に引き寄せられてきているのです。
人生は有限であるからこそ
人間が持っている習性の一つに、『無いものを求める』というものがあります。
今持っているものがどんなに価値あるものであっても、どんなに人から羨まれるような環境に生まれた方であっても・・・、
それで満足できるかどうかは、また別問題なんですよね。
人には、その人が持っていない物を欲しくなるという性質があるからです。
人生も有限だからこそ、永遠への憧れがあるわけです。
永遠の若さ、未来永劫決して色褪せることのないもの。
決して手に入らないものへの憧れ。
そういったものを求めることで、苦しみをつくってしまのです。
叶わぬ恋の相手であればあるほど、切なさが強くなるのと同じこと。
でもそんな性質も、きっと必要なものだから私たちに与えられているものだと思います。
素晴らしい音楽や芸術が生まれるための、源泉となってくれる苦しみでもあるからです。
持っていないものが欲しい。手に入れた瞬間色褪せるものもあるけど・・
現実と理想とのギャップ。
そのギャップが成長へのパワーとなってくれるものなんですよね。
そのパワーが外側に行ったときは、グングンと芽を伸ばし発展していく時期です。
内側に行ったときは、今この瞬間の宝に意識が向いていく調和の時期と言ってもいいでしょう。
そんなサイクルを繰り返しながら、一つの有限の人生を終える時がやって来る・・。
有限だからと言って、悩んだり喜んだりすることよりも大切なこと。
それは、
『今のあなたはどの季節にいるのか?』
それを考えて過ごすことの方が大切なことであるのかもしれません。
人生は有限。いつかは終わるものだから
絵画や音楽といった芸術作品の根本にあるのは、そういった『永遠への憧れ』であると思えます。
ピカソの絵も満足に理解できない僕が言えることではありませんけど・・。
人生はいつか終わる。
人生は有限。
それでも後に続く人たちがこの作品をみて、永遠に続くものを感じて欲しい。
そんな欲求から生まれてくるものが、芸術と呼ばれるものなんだと思います。
僕がこんな確信に近い原則を感じたのは、昔テレビで見た鮭の産卵の姿からです。
産卵のために川を上って上流へと向かっていく鮭の姿を見ながら、
「この鮭たちは、死に場所を求めて必死に上っているんだ。」
「命を繋ぐ。その一つの欲求を満たすために、必死で行動しているんだな。」
「誰かが敷いたレールではない、ただ自分の中の欲求に従って死ぬために向かっている。そしてそれを望んでいる。」
そんな風に感じたんですよね。
無事に卵を産卵して、力尽き浮かんでいる鮭の姿。
それを見ると、
『死というものだって、もしかしたら天から与えられた恵みのようなものであるかもしれない。』
そんな風に感じさせてくれる映像でした。
心に響く言葉や出来事を大切にする
そのような鮭の姿をみていると・・・、
ともすれば、他人の人生を生きていこうとする私たちへの大切な教訓となってくれます。
限りある時間なんです。
自分を殺して、他人の人生を生きている場合ではないんですよね。
その言葉。
その行動。
その決断。
それらの起源は、あなた自身の欲求でなければなりません。
それが全ての始まりです。
『人生は有限』という限界を背負っている私たちだから、無限とか永遠といったものへの憧れもまた持っている存在なんですよね。
あなた自身の人生を生きている、あなたの姿に影響を受け、共鳴してくれる人たちもきっと表れるのです。
あなたの身内の方たち、家族、大切な友人・・・。
そういった方たちのためにも、まずはあなた自身の人生を生きていくことが大切です。
その為の道しるべとなるものが、あなたの心。
心に響く言葉、心に響く状況、映画、スポーツ・・・
どのようなものであっても、あなたの心に響くものがあなたの個性です。
あなたらしく生きていくための、手がかりとなってくれるものなんです。
全てが終わる日が来るから自分の人生を生きる
有限の人生をカバーしてくれるもの。
それが私たちの持っている、想像力や好奇心です。
日々の生活、現実の中での葛藤も、もちろんあるはずです。
でもそんな泥臭い日常を超えるだけの力を私たちは持っています。
楽しい時間も、苦しい時間も、悲しみの時間も・・・、
全てが終わる時がやって来るのです。
それが現実。
それでも、そんな現実を超えさせてくれる橋もまたあります。
内なる声に耳を傾けて、限りある時間の中であなた自身を解放させてあげることです。
あまりに浮世離れした危ない奴になってしまわない程度にですね(^^)/
あなた自身を解放させる方法としては、潜在意識を思い切り解放させるアファメーションのコツを公開!で詳しくお話ししています。
ご自分の人生を生きてあげてください。
人の為に生きることも自分の人生を生きること
本当の成功者とは、自分の人生を生ききった人です。
そして逆説的ですが、自分の人生を生きている人ほど、他の人に喜びを与えようとしているものなんです。
それが、自分自身を豊かにする一番の方法であることを知っている人たちだからです。
わが身を犠牲にし、自分を殺して人の為に生きるということとは少し違います。
人を活かし、自分を活かす。
大切なのは、満足感。
ご自分の人生への満足感です。
人生の最期にどれだけ穏やかな気持ちでいられるか。
「人生の最期に満足するために生きているのではない」
「大切なのはその時、その時の一瞬のはずだ」
そのように反論したい気持ちもあるかもしれません。
でも、その場その場の満足を積み重ねた結果、語るべきことが何もない人生だったと空虚感に苦しむ可能性も考えてみるべきです。
最後は穏やかな満足感に包まれて。
微力ではあっても、自分なりに人に喜ばれる人生を生きてきた。
そして今、残された家族が僕を見守ってくれている。
これ以上の祝福は望めない。
ありがとう。
人生の祝福をありがとう。
既婚の人も、独身の人も、たとえ一人孤独に最期を迎えようとも・・・、
どんな境遇の中で生きている人であっても、そんな心境になれると僕は思います。
与えることで生きがいを見つけ続けてきた人生であれば、誰しもそのような満足感を得ることができることを僕は強く信じています。
⇒感謝。感謝できる能力を鍛えること
⇒若さを失う代わりに得られる、別の喜びがあるから
⇒大切なのは今あなたが生きていて、そしてどの季節にいるのかを考えて過ごすこと
⇒死ぬために川を上り、永遠の命の代わりに命をつなぐ鮭の産卵を見て感じた生からの解放
⇒他の人に喜びを与えることで生きるエネルギーを得ている人
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