私たち人間に許された能力は?
人を花に例えるならば、私たちの使命は?
人を花に例えるならば、私たちの限界は?
約5分です
これらの新しい祝福を得られるための所要時間は
いつも顔に笑顔を浮かべて、人生を楽しんでいるように感じる人っていますよね。
「あの人、不安や愚痴を感じることってあるのかな?」
と疑問に感じてしまうことすらあります(笑)
いつも『人生は楽しいことばかり』とばかりに、ふるまっている人。
人生を楽しんでいるその振る舞いが自然過ぎて、嫉妬すら感じそうです(^-^;
「このような人たちを人生の達人と呼ぶんだろうな。」
と思ったりもします。
彼らは、努めて『人生の達人』になろうとしているわけではない様です。
もし努めてそのようになろうとしているのなら、どこかに不自然さが出てくるはずですから。
人生を楽しく生きるのに、努力や強い意志を用いることなく自然なんですよね。
ただ没頭できる何かを見つけて、それに取り組んでいるだけであるかのようです。
没頭できる好きなこと
忙しいけど、楽しく生活している人
仕事が苦にならず、そもそも『仕事』という意識すら持っていない人。
そんな人たちを見ながら、心の底から羨ましいなと思っていました。
「思っていました」と過去形で表現したのは・・・、
今では、僕もその部類のお仲間に入りつつあるからです♪
『人生は楽しいことばかり』
そのように感じる人と、そうでない人の違いは一体どこにあるのでしょうか?
まず知るべきは、一つの間違いのない前提です。
当たり前ですが、私たちは皆同じ状況・時代の中を生きているということ。
同じ国、同じ時代の中に生きて、同じような環境の中で生活をしています。
それなのに、『楽しいことばかり』と実感できる人生を掴んでいる方もいれば、そうでない人も出てくるのです。
楽しいことばかりじゃない私たちの人生
現実の世界は、『辛いこと』・『苦しいこと』・『悲しいこと』もたくさんあります。
それが現実というものです。
生きている間は『光』と『影』の両方を必ず見ることになっているんですよね。
『光』と『影』。
両方とも存在している以上、そのどちらも経験しなければならない、避けて通ることのできない事柄ということになります。
万人が経験する、楽しいことや辛いこと。
光と影。
表と裏。
両方を確認出来る世界に住んでいるという条件は同じ。
それなのに、
「人生は楽しいことばかり。天国のような世界だね♪」
と実感しながら生きている人もいれば・・・。
「生きることは苦しい。身動きの取れない地獄のようだ。」
と感じながら生きている人もいる・・・。
そこが人生の興味深いところでもあり、人生の秘密が隠されているところなんです。
(参考) ⇒ 人生の幸せとは?たった1つの質問から得られた大切な答え
【世界観が変わる】私たちの能力の限界とは?
この世の中が、天国のような素晴らしい世界であること。
これは事実です。
この世界が、苦しく辛いものでいっぱいであること。
それも事実です。
両方とも、事実なんですよね。
そしてここにもう一つ、見逃してはならない大きな事実があります。それは・・、
僕たちには、能力の限界があるという事実です。
それは何かと言うと、
『同時に両方の世界を認識することは出来ない』
という限界なんです。
例えば、私たちが持っている5感。
『視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚』
この5感のどれか一つに、フォーカスしてみて下さい。
外を歩きながら、聴覚だけに集中してたとしますね。
普段は聞こえることのない、様々な音が耳に入ります。
普段は聞こえてこない音です。
鳥の鳴き声。
ご近所さんの窓から漏れてくる会話。
葉っぱが風に揺れる音・・・。
それでは同じく外を歩きながら、視覚にフォーカスしてみるとどうでしょうか?
焦点を近くにしてみると・・、
普段意識していなかった並木道の1本の木に、誰かが彫った文字が目に入って来ます。
焦点を広げてみると・・、
それまで意識していなかった高校生が、自転車で走っている姿が確認出来たりします。
僕が何を言おうとしているのかというと・・、
味覚や嗅覚、その他の感覚にも言えることですが、
『ちょっと意識して集中してみると、それまで感知していなかったことまで脳が拾ってくる』
ということです。
更に面白いのは、
『一つの感覚に集中すると、他の4つの感覚を認識出来なくなってしまう』
ことです。
フォーカスしている感覚以外は全て閉じてしまうんですよね。
おそらく、全てを同時に感知できないようになっているのでしょう。
『一度に感知出来るのは一つだけ』
という原則の中で私たちは生きているんですよね。
私たちの個性は、何を選択して見るのかということ
世の中には、裏も表も、矛盾するようなことも多くあります。
ですが、私たち一人一人が認識出来るのは一つの世界観のみであるということなんです。
同じものを見ても、何を感じてピックアップするかは私たちに任されているということなんですよね。
「どんな世界を観たいのですか?」
「どのように感じながら人生を過ごしたいのですか?」
さぁ、お選び下さい。あなた方の自由です。
それはまるで、宝石やガラクタがごちゃごちゃになった世界に投げ出され、
「さぁ、あなたの好きなものを見つけて拾ってきなさい。」
と言われているかのようです。
「あなたの個性で、あなたの感性で自由に何でも拾っていいですよ。」
「あなたの人生に、彩を添えてあげて。」
「あなたの人生なのだから、あなたが選んでいいのですよ。」
そのように、言われているかのように感じるのです。
楽しいことばかりじゃない、苦しいことばかりでもない
善いことも悪いことも、同じように存在している。
楽しいことも苦しいことも、同じように存在している。
そして・・・、
私たちは同時にその相対するもの両方を感じ取ることは出来ない。
同じ食べ物を口にしたとき。
味覚に集中して、『苦味』を探すのか、『旨味』を探すのか?
どちらを探すのもあなたの自由。
選択の自由が与えれれている私たちですから。
でも、二つ同時に選び取ることは出来ません。
『人生楽しいことばかり』という道を歩んでいる方は、その道を選んだからです。
『人生苦しいことばかり』という道を歩んでいる方は、その道を選んだからです。
上は星空、下は泥水
上を見上げると星空。
宝石箱の中の宝物を全て散りばめたかのような光たち。
下を見つめると泥水。
雨の後の泥に交じった水たまりがその目に映ります。
同じ道を歩いていてもある人は美を感じ、ある人は汚れを感じてしまいます。
同じ世界に住み、同じ光景の中を歩いているというのに。
どちらを見てもそれはあなたの自由。
ただ一つ、確かなこと。
それは、星を見れば『美』をこの世界に感じることが出来る。
そして、泥水ばかり見つめてしまうと、世の中の汚ればかりを確認することになるということです。
どちらの光景を見たときに、『感謝』の気持ちが湧いてくるでしょうか?
『不満や愚痴』が出てしまいそうになるのは、どちらの光景を見たときでしょうか?
星も泥も混在している世界に住んでいる私たち
上を見上げれば、星しか見えない。
下を見つめると泥しか見えない。
星だけの世界でもなく、泥だけの世界でもない。
美も醜も混ざり合った世界。
何度も書いていますが、対極にある2つを同時に確認することは出来ません。
どちらかを選んでいるのです。
長い人生の途上で、ずっと『星』しか見ないまま生涯を閉じた人はいないはずです。
同じく、『泥水』しか見ないままで生涯を閉じた方もいないはずです。
人生の総決算は、もしかしたら『世界のどんな側面』をあなたは多く見てきたのか?
そこで判定されるのかもしれませんね。
【心の鍛えどころ】楽しいことばかりを選ぶ力
「楽しいことも、苦しいこともこの世の事実なのに、楽しいことしか見ないなんておかしい。」
「それは、逃げじゃないのか?ごまかしながら生きていくということなのでは?」
そのように思われる読者さんも、いらっしゃるかもしれませんね。
確かに事実の一方のみにフォーカスすることで、見えなくなるものが生じます。
でも楽しい方向を見ることは、あなたの意志が必要です。
そして、苦しい方向を見ることも、あなたの意志が必要なんです。
私たちの感情に影響を与えるのは、常に2つの要素があるんですよね。
外的な要因 ⇒ 天気や季節。他人からの評判
内的な要因 ⇒ あなた自身がどちらの側面にフォーカスするか?
あなた自身でコントロールできるのは、『内的な要因』の方です。
こちらの方は、100%あなたがコントロールできるものなんですよね。
言い換えると、どのような心持ちで日々を過ごすのかは100%あなたの責任であるということなんです。
これが、『心を鍛える』ということです。
幸せになる心持ちを学んでいくということなんですよね。
そして心の操縦法を習得することで、人生を豊かに楽しくさせていくことができるということなんです。
全てあなたの力で、人生を変えていくことができるものなんですね。
心の操縦法については、その使い方、危険!?引き寄せの法則によくある典型的な間違いでより詳しくお話ししています。
一輪の花のように楽しいことばかりの人生を生きる
『最後にもう一花咲かせたい』
僕は、人生を一つの花に置き換えて考えることがあります。
せっかく生まれてきたのだから、出来るだけ多くの季節を生きて、そして花を咲かせたいという欲求は誰にでもありますよね。
生まれて初めて咲かす花は未熟であっても、次の季節には以前より綺麗な花を。
そして次の季節にはもっと美しい花を♪
最期まで花を咲かし続けて、散るべき時に散っていくのかな・・・
悲観しているわけではないのですが、そのような気持ちです。
例外なく、全ての人が通る道ですからね。
花として生まれたのであれば、自分にできる最高の花を咲かせたいときっと願うことでしょう。
それを見てくれる人の目を少しでも楽しませることの出来る花を。
どこに根をはるかを選べない
野に咲いている花たちは、種の時代に
「この場所に種を落として欲しい」
とお願いできることはありません。
落ちたその場所に根をはって、花の人生を全うするしかないのです。
その場所が、その花の運命と言ってもいいでしょう。
種が落ちたその環境を受け入れるしかないのです。
その場所で一番の花を咲かせていくだけです。
環境の不満を感じたところで、それを変えることは出来ません。
出来ることは、太陽に向かって花を咲かせていくことだけ。
そのような姿が、その花を見る人の心を和ませてくれるのでしょう。
私たちは一輪の花
私たちも、そのような一輪の花みたいなものです。
地球に住み、日本に住んでいる一輪の花。
この世に生を受ける時に、
『どんな環境で、どのような親から生まれたいのか』
それを選べるのであれば話は別ですけど・・・。
生まれてきたその環境、その場所。
それは、私たち一人一人が背負う運命みたいなものなんです。
いくら泣き言を言っても、変えられないものだってあります。
受け入れるべきは受け入れ、そこで星を見上げるように一輪の花を咲かせるしかないのです。
どのような環境であっても泥の中から一輪の花を咲かせ、見る人の目を喜ばせてあげることです。
時には、勇気を。
時には、慰めを。
たった一輪の花であっても、与えることは出来るはずです。
人生楽しいことばかり
たとえコンクリートのわずかな割れ目に落ちてしまった種であっても、そこから咲いている花は私たちに強さを教えてくれます。
花園に咲く一輪一輪の花たちは、集合体の美を教えようとしているかのようです。
どのような環境であっても、咲かせる花は同じです。
そして私たちの目を楽しませてくれています。
泥水に落ちた種でも、そこから見事な一輪を咲かせている姿は私たちに感動を与えてくれます。
たとえこの世が泥だらけ、泥水だらけの世界であっても・・・
そこから咲かせる一輪の花。
星空を見る選択をした人だからこそ、咲かせることの出来る美しい花なのです。
『人生、楽しいことばかり』
そのように感じることの出来る人は本当に素晴らしく、心の操縦法を極めた人。
心からそのように思います。
⇒『楽しいこと』・『辛いこと』、『表』・『裏』、一度に両方の世界は認識できないこと
⇒美も醜も混在する世界で、どちらを見るか選ぶことができる
⇒できるだけ多くの季節を生き、できるだけ美しい花を咲かせること
⇒咲く場所を選べない。種が落ちたその環境で、花を咲かせるだけ
【P.S.】
「星も泥もあるこの世で、どうしたら星を見上げるような人になれるのだろう?」
そう思われる方は、この記事を読んでみて下さい♪ ⇒ あなたの望む人生を引き寄せるために
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