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人生やり直しのはずだった離婚。お子さまをお忘れではないですか?

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この記事からあなたが得られる人生の祝福

当時の僕が家族に対して抱いていた気持ち
離婚を望んでいた母親に対して当時抱いていた感情
母への不信感が決定的となった要因
全てが大変な状況にある今のあなたに伝えたいこと

これらの新しい祝福を得られるための所要時間は約9分です

エア
エア
離婚は憎しみ、悲しみを生んで、人生に大きな影響を与えます。同時に、どんな経験もバネにできる。羽ばたくためのバネです。
リトルエア
リトルエア
忘れてはいけないことは、自分だけが影響を受けるわけじゃないことだよね。家族や子どもへの影響も少なくないんだ。
エア
エア
僕も子どもの頃に、両親の離婚を経験しています。両親への憎しみを覚え、今は自分で幸せになれる術を知ることができています。
読者さん
読者さん
あの人と一緒になってしまったばかりに、人生がめちゃめちゃになった気分です。離婚して、人生が好転してくれないかと・・
リトルエア
リトルエア
この離婚をあなたの幸せのための調味料として使うことができるんだよ。潜在意識に人生好転のスイッチを入れるカギは・・・、ズバリ『許すこと』そして『感謝』なんだ。

 

僕自身には、離婚経験はありません。

離婚の危機はありましたが、結局もう一度やり直すことを話し合い、今では普通の生活を送っています。(詳しいことは、僕のプロフィールをご覧ください)

きっと妻も僕も、離婚によって人生をより好転させることへの自信が無かったんだと思います。

 

でも離婚によって、人生が大きくやり直せるのは本当のことです。

 

悪い方向へもガラリと変わってしまう可能性もありますが・・、もちろん良い意味での変化も大いにあり得ることなんです。

離婚という悲しみ、そして憎しみによって人生は大きな影響を受けます。

 

言うまでもありませんが、それは夫婦間だけの問題ではありません。

子どもを始め、周囲の親類たちにも何らかの波風は起こってしまうものなんですよね。

 

僕は両親が離婚する子供の気持ちは、ある程度わかっているつもりです。

自分自身で身をもって経験してきたことですから。

 

僕には3歳下の弟がいます。

その3年と言う年齢の違いだけでも、状況を受け止める時の心境は異なるものがあったように思えます。

もちろん、それぞれの性格もありますが・・・

 

両親が離婚したのは、僕が中学2年生の頃でした。

離婚以前と離婚以後の環境がガラリと変化してしまったので、ちょっと苦しい時期ではありました。

反抗期ど真ん中の時でもありましたから・・・(汗)

 

離婚に悩まれているあなた、お子さまへの影響にも、もちろん気を配っていることだと思います。

ですが、当時の僕にはそれがわかりませんでした。

 

両親が子供へ気を配りながら、離婚の話し合いを進めていることがわかりませんでした。

「自分の都合だけで、やりたいことやりやがって。なんて自分勝手な人間なんだ!」

そのような暗い気持ちを抱えながら、自分の親に対して憎しみすら覚えていたのです。

【離婚】絶対に壊れないと思っていたものが崩れるとき

僕が幼い頃の過程は、父が自営業をしていたこともあり、経済的にはちょっとだけ余裕のある環境ではありました。

そんな環境の中で、母からは熱心な教育を受けさせられたものです。
(鼻血が出てしまう程に強烈な教育だったので、このことも僕の中で母への『憎しみ』として長く残ることになります)

 

物覚えの悪かった僕は、それが苦痛でたまりませんでした。

一方の弟は、僕にばかりに意識が向かっていた母親を尻目に、うまく立ち回っているようなところがありましたね。

 

公平に言えば、優秀な弟でした。

勉強を一生懸命にしている姿は見たことはありませんが、テストではいい点数を持って帰っていましたから。

 

『努力型の兄と、天才型の弟』

なんてレッテルを貼られてしまっていたような環境です。

 

この家族が崩れることは絶対に無いだろう。

根拠は無くとも、そのことはどこかで信頼していました。

 

僕にとっては、絶対に崩れない砦のようなものだったのです。

何があっても、駆け込むことの出来る砦です。

 

絶対的な信頼を置いていた頑丈な砦だったはずだったのに・・・、

母からの突然の一言で、その土台が揺らぎ始めてきたのです。

母親から離婚の意向を聞かされた中学2年生の頃

「お父さんと、離婚しようと思っている。」

学校から帰って来た平日の放課後に、弟のいないところで突然僕に言ってきた一言でした。

 

「知らん。そんなの・・・。」

という返答しか、その時は返すことができませんでした。

 

「またいつもの夫婦喧嘩か。そのうち元に戻るだろう。」

その時は、そのように考えていただけでした。

 

思い起こせば、1度だけ似たようなことがその前にありました。

父親の浮気が原因で、母がそれを許せない気持ちを持ち続けていたのです。

 

「あの時、別れてやればよかったねぇ!」

と僕や弟に、母が機嫌のいい時に話してきたことがあります。

「うん、うん。」

と二人とも返事はするのですが、その場限りの空返事でした。

 

「えっ?俺たちが、両親の離婚を望んでいると思っているのか?」

と思ったことを覚えています。

 

両親の離婚など、望んではいませんでした。

今の状況が続くことを信じていたからです。

ですが母親からのそんな一言で、今まで知らなかった親の一面を感じたのです。

 

「母は、子供の気持ちをわかっていない。」

「自分が離婚したいばかりで、単純に子供の方も離婚を望んでいると思い込んでいるのか??」

 

そのような疑問を感じました。

 

「離婚しようと思っている。」

「知らんよ、そんなこと・・・」

 

この短い会話以降、水面下で離婚手続きはどんどん進んでいました。

 

それから半年近くは何事も無いように過ごしてはいましたが、家族の雰囲気の変化は確実に表面化してきていたのです。

その頃には塾や家庭教師もやめて、勉強の方も全くすることの無い日々を過すことになります。

 

最初はそれまで十分に遊べなかった友人との時間を多く取れることが、嬉しかったですね。

ただ、闇が徐々に迫ってきていることをかすかに感じていました。

洗面所やトイレですれ違う父親への対応に困っていた

「もしかして、本当に離婚するのか?」

明らかに、家庭内の雰囲気が変わってきていました。

 

自由奔放で、ほらを吹くような冗談ばかり言っていた父親の様子が変わってきたのです。(後々になって、父親のマイナス面も嫌というほど知ることになりましたが、当時はよくわかりませんでした。)

何があっても、笑い飛ばすようなところがあった父親でした。

 

そんな父の帰宅が遅くなる日が続き、顏を合わせる時間も少なくなってきたんです。

そんな時に家の中で父と廊下ですれ違うような時には、とても居心地の悪い気まずさを感じるようになってきていました。

 

プライドが高く、自分の苦境を知られたくない父。(そのくせ口は上手で、困った時のお金の無心は上手だったことを知ったのは、僕が高校生になってからです)

笑顔の消えた父と交わす会話なんて、想像できません。

 

いつの間にか、僕の方から父を避けるようになてちました。

出来るだけ顔を見なくてすむように、過ごすようにしながら・・。

 

父との会話が無くなった日々も、学校では普通に振る舞うことが出来ましたし、辛さを感じた記憶もあまりありません。

塾に行くこともなくなり、「勉強しなさい」とうるさかった母も、そのようなことを言わなくなっていました。

 

そんな環境を少しうれしく思っていたくらいです。

そのような生活に慣れを感じていたのでしょう。

「父親がいなくても、普通に生活できそうだ。今までより自由に過ごせるかも。」

そんな気持ちにすらなってきていました。

 

そして・・・、

 

「離婚しようと思っている。」

母親からの突然の一言から、半年ほど経過していた頃です。

 

母親がせっせとコタツの上で記入している『緑色』の用紙を見たときは、少なからずショックを感じた記憶はまだ残っています。

 

そんな気持ちを悟られまいと、すぐにテレビ画面に目を移しましたけど。

既に、父の記入箇所は埋められていました。

 

「親父の方も、離婚に同意してるんだな・・・」

 

そういうことか・・・

 

何もできない無力感だけを感じていました。

同時に、用紙に記入している母が活き活きとした姿に映っていたことが、僕の気持ちをより複雑にさせてきます。

 

「こいつは、何もわかっていない。自分のことばかりだ。」

何を言ってもわかりっこないという諦めもあり、自分の中だけで押し殺していた感情でした。

誰にも知られたくなく、相談も出来なかった孤独

記入されている緑の用紙を見て以降も、時々父親は家に出入りをしていました。

別室で母親と話を続けることが多く、僕たち兄弟はテレビを見ながら過ごしていた夜が多かったです。

 

当時、弟がどんな気持ちであったのかはわかりません。

兄である僕の言動に合わせながら、取るべき行動を探っていたように僕には見えました。

弟の方は、小学校5年か6年生になる年齢です。

 

両親の言い争いは、依然として起こっていました。

その時は特に不思議に思えなかったのですが、わざわざ僕たち兄弟が眠っている部屋に来て話をしている夜もあったのです。

 

しばらくしてこの意味が僕にもだんだんとわかってきました。

 

「父親がどれだけひどい男なのかを、子供たちに聞かせたい。」

という母の思惑だったのです。

 

『父親を嫌って欲しい』と思っている母親の気持ちを感じ取り、

「どっちもどっちだ。情けない大人だ・・・」

怒りもあり、諦めもあり・・・。

 

「早く自由な大人になりたい。」

そんな気持ちも芽生えていることを感じました。

 

:「家族をめちゃくちゃにして、本当に勝手な人よ!」

:「何を言ってるんだ。俺の方はやり直そうと思っていたけど、お前がしつこく書け書け、サインしろと何度も言ってきたからじゃないか。」

 

そのような断片的な口論が耳に入ってきて、

「やっぱり、母が強引に進めている離婚だったのか・・・」

どこかでそのように理解していく自分がいました。

【離婚後の両親】どちらと一緒に暮らすべきか?

『母親との生活の方が、堅実だ』

ということはわかっていたので、「父親と母親、どちらと住むべきか?」を考えることはありませんでした。

 

「母親との生活は窮屈なものになるだろうけど、間違いのない生活ができるだろう」

母への反抗心が強かった当時であっても、そこはすぐに受け入れました。

 

一方で、父との生活はちょっと想像できませんでしたね。

サラリーマンとして一からやり直せるような父ではないことは感じていましたし、おそらく自分の事で精一杯の生活になるのではないかと言う予感もしていたからです。

父親がどんな人だったかと言いますと・・・↓

⇒ 転落した人生。僕の父はどんな風に転落人生を歩んでしまったのか

 

母親との生活となることを感じつつ・・・

いつも自分のやりたい方向だけに強引に物事を進めていく姿に反発している毎日でした。

 

弟の方は、兄である僕の決定次第でどう動くことを決めているような感じでしたね。

自分が父を選べばそちらへ、母を選べば母親の方へ行くつもりだったと思います。

母親からの甘い言葉が多くなったと感じた時期

離婚後の生活の方向性がハッキリしていない時期、母の態度が急に変わってきた時期がありました。

「あんたたち二人のことが、お母さんは大好きだからね。」

なんてことを急に言ってきたりしたので、中学生の僕は何だか気持ち悪さを感じてしまったことを覚えています。

 

今思えば、「母親との生活を選んで欲しい」との意思表示だったのでしょう。

そうして、離婚後の生活についての自分からの条件のようなものをいくつか母親に伝えたのです。

 

苗字が変わると、学校でやりにくいからこのままで変えない

この家を引っ越すことはしない、転校もしない

近所の人たちにも、離婚のことは伝えずに黙っておく

 

そのようなことを僕から伝えました。

「うん、うん。わかった。」

今までにない母の態度に戸惑いを感じながら、その妙に素直過ぎる返事を確認していました。

 

「離婚する親としての負い目を感じていたのか?」

「この場だけをやり過ごせば、その後はどうにでもなると思っていたのか?」

 

本心はもうわかりませんが、媚びるような態度で全てYESの返事をしてくる母親に戸惑いを感じながらも、両親の離婚を受け入れる気持ちになっていました。

裏切られた気持ちも大きかった頃

離婚する時に母親に話していた、僕からの条件。

結果は、ことごとく破られることになります(笑)

 

今でこそ笑える話ですが、当時の僕は怒りがマックスでしたね。

 

もう母への信頼など一切なく、早く親元を離れて縁を切ってしまいたいと思っていましたから。

 

そのままでいいと言っていた苗字は、

「3ヶ月しかもたないと、役所に言われたから・・・」

とあっさり言われておしまい。

 

近所の人には何も話さないと言っていたはずなのに・・・。

しきりに、リビングで近所の奥様方を誘って色々と話をしているのです。

何の話をしているか、そんなのすぐに想像つきますよね・・。

 

話しを聞いている奥様方の興味津々な表情ガラス越しにみえてきます。

 

「ちっ!嘘ばかりつきやがって。自分の気持ちすら抑えられないのか!甘ったれのクソ親が!」

裏切られた気持ちで一杯だった私でしたが、怒ること以外何も出来ません。

 

極めつけは、

「引っ越す必要がある。転校しなければならなくなった。」

と言ってきたことです。

 

あの約束から、半年位しか経過していなかったはずです。

あれだけ妙に素直な態度で接してきていた母親でしたが、その頃の素直さはもうありませんでした。

 

「あれだけ、約束したことはどうなったのか!」

「そんなこと言っても、この家に住み続けたら毎日借金取りが来るようになるよ。」

(約束を果たせず、謝ることすらできないのか?言い訳ばかりじゃないか。)

 

親だからどうこうではなく、その時点では人格すら疑ってしまっていた段階でした。

 

「なんてことだ・・・、もう最悪だ。」

そんな気持ちしかありませんでした。

 

中学3年生になっていた夏休み前の時期です。

八方塞がりでどうにもならない気持ち

結局中学3年生の夏休み、卒業まで7か月ほど残した時期に母の実家の近くへ引っ越すことになってしまいました。

それまでの住まいとガラリと違った、3Kの狭くて古い借家です。

 

9月の新学期に、新しい学校へ行くことになっていた僕でしたが・・・、

初日の登校予定の日に、僕は足を運ぶことが出来ませんでした。

 

転校後の学校の校則で、男子生徒は丸刈りにしないといけないルールに反発して学校に行かなかったんです。

全てに嫌悪していました。

 

2学期初日、学校初めの日。

何も考えたくない気持ちで、一人で外をぼんやりと歩いたことを思い出します。

結局その日先生が訪ねてきて、一緒に床屋まで連れていかされましたけどね。

 

弟の方はと言うと・・・、

初日から友達を連れてきて、テレビゲームを楽しんでいたみたいです。

 

丸刈りにされた僕は屈辱を感じながら、ずっと部屋に閉じこもっていました。

 

その後の学校生活は心を開くことが出来ずに、卒業までひたすら我慢しながら過ごしていたことを思い出します。

苦痛ばかりの7か月となってしまいました。

 

同じクラスの生徒たちはとても親切で、優しく接してくれていたのに、自分からは何も出来なかったことに、後悔の気持ちを感じます。

今となっては、反省することしか出来ません。

【人生のやり直し】全てを感謝して、許したい今

中学生活も残り2ヶ月位になった頃、高校入学と同時に父親と生活することを僕は決めました。

母親の方も僕には相当手を焼いていたはずですから、すんなりと決まりました。

 

僕は父親との高校生活。

弟は母親との生活。

 

その後の進路が見えてきた時に、最後の2ヶ月だけは受験勉強を猛烈に頑張りましたね。

 

このように書いてくると毎日毎日、親との口論に明け暮れていた印象を持たれてしまうかもしれませんが、平和な日々ももちろんありましたよ。

高校受験の時には母も応援してくれていることはわかっていましたし、合格後のお祝いもしてくれました。

 

実力よりも上の学校を狙っていたので、中学の先生も反対していた状況だったのですが、合格発表の時は母もとても喜んでいたことを思い出します。

「本当に良かったねぇ。」

と学校の先生も次々と言ってくれました。

高校生になり、離婚の事情が理解でき始める

高校生に上がるころ、計算上では両親の離婚から2年弱といったところでしょうか。

その頃にはもう離婚によるイザコザはほぼ無くなっていました。

 

母親とは色々とぶつかり合ってばかりの日々でしたが、高校に入り父親と暮らすことによってそれまで見えなかった色々な事情も自分なりに理解でき始めたのです。

 

お金にだらしない父。

とても一家の大黒柱とはなれそうもない父の性格を感じながら、

「母の言っていたことは、こういうことだったのか・・・」

と感じることも、チラホラ出てくるようになってきました。

 

それまでに重ねてきたしこりを完全に払しょくするところまでは、いきませんでしたけど・・・

 

ただそれまでのように『母親憎し』といった感情に支配されていた自分が、変化していることを感じていました。

 

我儘で自分勝手に映っていた母親でしたが、実はとても強く生き抜いて僕と弟との生活を支えてくれていたのです。

 

大学までの資金を貯めてくれていたのも母でした。

語学留学への資金援助をしてくれたのも母でした。

女手一つでしっかりと蓄えをつくり、自分の為だけではなく先を見通して生きてきた『強さ』が見えてきたのです。

離婚時の棘が再び蘇る時間

もう人生折り返し地点を過ぎた今、そんな母親と同じ屋根の下で生活しています。

妻には負担をかけて申し訳ない気持ちもあるのですが、そのうち妻にも恩返しをしたいと決意しているところです。

 

父親とは、今は音信不通です。

 

連絡を取らなくなってもう20年近くなりますが、おそらく弟も同じように父とは連絡がつかない状態であるはずです。

 

時間も経ち、あの頃と比べると当たり前ですが母も随分と老いています。

控えめに暮らしていこうとする様子を母の姿を見ながら感じています。

そんな時、ふとあの頃の憎しみの感情が蘇ってくる瞬間も正直あります。

 

懐かしさも混じった、不思議な感情です。

色々なことがあったけど、これからもきっと色々なことがあるんだろうな。

それでもきっと幸せになる道を自分は選べるだろう。

 

そんな根拠の無い自信も今は持っています。

【人生やり直したいから】全てを許したい

先日、久し振りに母と二人で往復4時間程度を車で過ごす時間がありました。

母の両親、僕から言えば祖父母の納骨の為に墓地へと向かった時のこと。

ふと再び、あの頃の激しかった遠い記憶が蘇ってきました。

 

老いた母がそこにいます。

祖父の納骨を行い、既に先に入っていた祖母のお骨と一緒になり

「あぁ、良かったねぇ。一緒になれて良かった・・」

と墓石に向かって話しかけていました。

 

「ちょっとお参りするから、車で待ってていいよ。」

そう言われたので車の方へ向かいながら、一人でお参りしている遠くの母を見ていました。

 

年を取ったなぁ・・・

もう全てを忘れて、全てを許したい。

父も母も、皆幸せになって欲しい。

 

5分、10分と炎天下の下、手を合わせてお参りをしている母。

どんなことを話しているのか見当もつかなかったのですが・・・

 

父にも母にも、心から感謝している自分が今ここにいます。

全ての出来事に、全力で対処してきた父と母に感謝しています。

 

今までの事があったおかげで、僕もこうして豊かな生活が出来ているのです。

親思いの娘も出来て、真っ直ぐに育ってくれています。

僕も幸せな家庭を築けています。

 

この記事をここまで読んで頂いたということは・・・、

きっとあなたは今、離婚の協議中で、恨みや憎しみの感情と戦っているのだと思います。

 

特効薬といったものは、僕にはわかりません。

 

でも数十年経過して得られる幸せもあることは確かです。

全ての経験が貴重でありがたいものだったと、今は心からそう思えるからです。

 

全てを許せて、全てに感謝できる心境になった時、既にあなたは違う次元の人生を歩んでいるはずです。

 

辛く悩んでいる最中のあなたに、こう言っても酷なことであるかもしれません。

でもあえて、言わせてください。

あなたは今、『ダイヤモンドの経験』をしているところなのです。

 

そしてあなたのお子様も、ご自分の未来に美しく感じることの出来る『ダイヤモンドの経験』をしている最中なのです。

 

全てのことが、良い方向へ向かっている。

そのように信じて、進んでいって欲しいと心から願っています。

 

 

まとめ

当時の僕が家族に対して抱いていた気持ち
色々と喧嘩はあっても、絶対に崩れることのない最後の安全領域

離婚を望んでいた母親に対して当時抱いていた感情
自分の気持ちだけを優先して、人のことを考えない人間。憎しみの感情

母への不信感が決定的となった要因
約束を簡単に破られ、謝ることもなく被害者のように話していたこと

全てが大変な状況にある今のあなたに伝えたいこと
あなたは今、ダイヤモンドの経験をしている。全てを許せて感謝できる時、幸せで満たされる

 

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【P.S.】

離婚して、人生をやり直したい。
今は感謝なんて到底無理だけど、それでも許す努力は捨てない。

自分の人生も大切。子どもの人生も、もっと大切。

だから、私が幸せになろう。

憎しみや怒りの感情に負けずに、自分の人生をやり直すと決めたあなたへ。

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あなたを開眼させる一言がきっとある

文字数にして14万文字を超えるこのブログ内から、エッセンスのみを抽出しました。

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そんな経験が日常茶飯事となっている日々です♪

 

今のあなたに必要なピッタリの言葉も、きっとあるはずです。

 

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一日の始まり、起床時に

ほっと一息、コーヒーブレイクの時に

 

あなたの人生をパッと明るくさせる一言。

そんな出会いがあることを心より願っています。

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この記事を書いている人

読者さんからの温かいメッセージにいつも元気を頂いている、平凡なアラフィフ・ブロガー。

雇われサラリーマンだが、仕事よりもブログの方が楽しい毎日。

 

「いい文章、書くね。」

「時々、感動させるよね。」

 

若い頃、友人・知人から言われた何気ない一言を思い出し、心の欲求に従うままに本ブログを書き始める。

 

学校が辛かった中学生。

集団行動にどうしても馴染めなかった、高校時代。

楽しくなるはずだった期待を見事に裏切られ、
孤独に苦しんだ大学時代。

やっと見つけた就職先での挫折、退職、転職の繰り返し。

愛する家族との別居生活・・・。

 

幸せな今、全ての挫折が僕の宝。

 

苦しかった全ての経験が今、読者さんたちの悩みを解決できるヒントとなってくれていることに感謝を感じつつ・・・、

 

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